遠来のお客様?
 



       序



時折どこか遠くから押し寄せるような風が渡って来る。
遠くからのものだと判るのは、
随分と尺の長い風であることと、
水脈豊かな村のどこかで生じたとは思えぬ、
乾いた感触がするそれだからで。
ここの住人ではない自分へ、
自然が季節の変わり目を告げているのだろなと思わせるのは、
里の大部分を埋める金色の稲穂の海を、
さわさわ騒がす吹きようが、
いかにも“もう時分だよ”と教えているように聞こえるから。
それへと向けられたは、白皙の美丈夫が口許へと浮かべた莞爾な微笑。

 “ああ、もうちっと待っていただかねばなりませんな。”

自分の頭に結って垂らした金の髪と同じ色の稲穂たちへ、
だからと意が通じるものでもないながら。
軍用の地図の上ではその名さえ記されてはいなかったほど
小さな小さな村だとは思えぬほどに。
地平まで果てなく広がる豊饒の金を見渡して、
ついつい立ち止まってしまった彼が、
形のいい口許へ何とも言えぬ苦笑を浮かべたのは。
こうまで間近にあった存在に、
今の今まで気づかなんだ自分を失笑してのことでもあって。
古廟を礎にした岩屋の砦や、
里の周縁沿いに防壁として築いている石垣に杭柵。
この戦さ一番の目玉である大型兵器の“弩(いしゆみ)”を、
侍たちの指揮・指導の下、
村の男衆らが一致団結して構築中の各々の現場とそれから。
それら様々な場所で使われている、
クギにカスガイ、杭棒に縄に綱、消耗品の矢など、
あらゆる資材を作り出している鍛治場に作業場と。
里のあちこちに散らばっている全ての現場を巡って、
それぞれの進捗を確認しつつ、
申し送りや連絡があれば伝えもする“伝令役”。
本来は哨戒役のカツシロウが受け持つのだが、
単なる言伝て運びだけじゃあなく、
惣領殿への報告としての統合された見解を添わせた検分ともなると
統括役の眸が要りようなので。
陽が落ちる前の一区切り、
各所の今日の成果というものを、
ザッと確認して回っていた槍使い殿だったが。

 ふと感じた細波の音に、
 初めて聞いたものじゃなかろにと思うにつけ、
 逸っていた気持ちを宥められたような気がして零れた苦笑。

確かに、分の悪い、しかも切迫した戦さだが、
だからといって、
あれもこれもと抱えてせかせか駆け回っても、
出来ることには時間に相応しての“限り”があるというもので。
結局のところ、こつこつ着実に手掛け、
目利きがしっかり目配りをする他にない。
焦りは禁物だよと、もの言わぬ風や稲穂から囁かれ、
ほおと落とした吐息が一つ。

 “…うん。焦ってはないのだがな。”

とはいえ、随分と気概が弾んではいる。
戦さなぞ決して喜ばしいことではないし、
勿論のこと“喜んで”はいないが、それでも。
この身を最も効率よく動かせることであり、
的確な判断の下、
誰にも負けない優れた働きをこなせる自負もある。
この身に染ませた体術も戦術も、
少なくはない、しかも多彩な蓄積を礎にしてのそれ。
特に、副官だったころの勘は微塵も鈍ってはおらず。
戦さはもとより、こんな作業にさえ不慣れな人々を、
効率よく指揮するための段取りや、
物事の教えよう伝え方。
いろはのいから紐解いてやらねばならぬこともあれば、
十のうちの五までしか言わずとも伝わるものは
皆まで言わずに眺めて済ました方がしっかと身につく…とか。
要所要所で引き締めつつも、
日頃からも骨惜しみせず働き者な、
彼らなりの勘や体さばきにも一目置いての
上手に誘導する術を知っており。

 “蛍屋で得たものも多少は要るかと思ったが。”

素人ばかりが相手、
愛想や褒め言葉も繰り出さねば、
なかなか動かせぬかとの杞憂もあったが、
実際に手掛けてみれば、
かつての軍用式の指導で、十分コトは足りていて。

  そして

本人よりも先にそれを見越していてだろう、
詳細も何も丸投げするように
“いつもの如く”とだけしか告げなかった勘兵衛だったのが、
その時以上に今になってじわじわと擽ったい。

 “よくも覚えていて下さった。”

実際は10年、当人の記憶という意味でも5年も、
戦場という“現場”からも、
勘兵衛自身の傍らからも遠く離れていた七郎次だったのに。
あの蛍屋に居候していたことを知っていながら、
あのような火急に遭わねば頼ってもくれず、
腹の減った侍を探しておるなぞと、つれない物言いをしたくせに。

 “勘が戻らねば戻らぬで、やはり躍起になろうと、
  負けん気の強かったところを覚えていらしたのかな。”

物腰優しい伊達男だなんてのは、
あの遊里で幇間として身につけたそれ、
素の顔を隠すべく築いた仮面のようなもの。
本来は気の強い跳ねっ返りで、
目端の利く小器用さへの自覚もあってのこと、
応用を生かせて小気味のいい、遊撃担当志望だったのが。
器用さこそ認められつつも、
あまりに年若だったためか、配属された先では司令官の副官に据えられてしまい。
誰かの補佐なぞ勝手も判らぬ、どうしたものかと当初は大いに困ったものだが、
上司との呼吸が余程に合ったか、
いやいや何の、
戦場を離れると天賦の放任上手な御仁だったものだから。
黙って放っておけば締め切り間際に慌てにゃならぬと、
記録書類の書式や書きようも我流で覚えたし、
その参考にした過去の記録へ眸を通すことで、
様々な戦さの雛型の、まだ見ぬような代物までも
頭の中へ先んじて刷り込みもしたことが、
のちのあちこちで引っ張り出せての役にも立った。

  そんなこんなが幾歳月も積み重なって

南軍の将校からさえ
“北軍(キタ)の白夜叉”と恐れられたる勘兵衛の、
背中を守り、片腕となり、翼にもなれたこと、
しみじみと実感したのはいつだったろか。

 “それこそ、
  あのお方と引き離されてからじゃあなかったかねぇ。”

そんなことにも気づかぬまま、
ただただ生き残るために奔走していた。
死ぬことを誉れだの貴いだのと思うなと、
仲間内から死兵を出すことへこそ
歯噛みしての死に物狂いで、
武火の猛り立つ戦場を駆け抜けた。
あの危なっかしい修羅場を、
誰より巧みに強靭に
確固たる血路を開きつつ、鮮やかに疾走出来る身だったこと。
そんな技や才を持つ身であろうよと
この戦さに必要なことと、
求められたことが幼子のように素直に嬉しかったし。
保ち続けておって当然とされたそれへ、
しっかり応じられた自分なのが、妙な言い方になるが何とも有り難い。

 “難儀な生き物だよ、まったく。”

サムライなんて肩書はもう捨てたと口にする自分へ、
言うたびに、
難儀な男だねぇと苦笑していたユキノをふと思い出し。
そうと言いつつ、胸の奥底に封じていただけなくせにと
あっさり見透かしていた彗眼と言いようを
こんな間合いで思い出したのは、

 「………おや。」

そろそろ黄昏が始まろうかという頃合いの秋空に、
水気の少ない筆で亳いたよな、
掠れた白で浮き上がる、真ん丸な月が見えたから。
有明の月ですかと頬笑んだものの、

 “待てよ……。”

あれあれ、今日はそういう暦だったかなと、
妙な違和感を覚えた七郎次。
天の果てまで透かし見るよに、
秋空の高みをまじまじと見上げているうちに、
再びの風が訪のう気配が遠くから伝わってくる。
草籟の響きが遠く遠くから押し寄せてくるのを、
先程のと同様のそれとして、
ただ遣り過ごそうと立ちん坊でいた七郎次だったが。

 「  え?」

平生はやさしい線を描く肩先をくるみ込む、
藤色の羽織の裳裾、
じわじわとはためかせるところまでは同じだったその風が、
手前でいきなり速さを増した。
結構な圧をおびた風の塊が、
首に掛けていた緋色の絹の帯を真後ろへ引くほども
勢いよく叩きつけて来。
うわぁっと思わずの声が出たものの、あまりに唐突な出来事ゆえに、
突拍子もない強さと力で、
踏ん張る暇もなかったそのまま、一気に押し飛ばされた七郎次。
いくら油断していたとはいえ、
大人を一人、足元から浮かすほどの風とは、
とんでもない代物でもあって。

 “こんな異様なものが吹くような村だなんて、
  誰からも聞いてませんよぉ。”

それも、こんな無様な格好で遭遇するなんて、
恥ずかしくって誰にも言えないと、
思っていた内は、まだまだ余裕だったのだけれども…………。





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